kurage__flyの日記

それでも、大人になる

アゲラタム

今更何を後悔しても時間は戻らないもので、残酷なほどに世界は冷たいです。

 

 

友だちの話が羨ましくて苦しくなることもあった。

兄弟との仲良しエピソード

お父さんとのお出かけ話

おじいちゃんおばあちゃんと旅行に行った、洋服を買ってもらった

笑顔で「え〜めっちゃいいじゃん〜!!」と言いながら、仮面の下で泣いていた。

 

でも、そんな中でも友達といる時間が唯一幸せを感じられる時間だった。家に居場所なんてなかったしスマホも持っていなかった当時の私にとって、かけがえのない時間だった。

よく愚痴を言った。中1の時から毎年数人ずつは、何でも話せる友達というものができた。学校帰りに駅で2時間半も話したこと。中2の運動会の帰りには、家のゴタゴタの全部を2人の子に話した。

みんな優しくて、人の価値観を否定しないし口は堅いしで本当に平和で。こんな私を受け入れてくれる子が何人もいた。この学校に入って私は壊れたから、今まで何回も「こんな学校入らなきゃよかった」って思ったけれど、こういう友人にめぐり逢えたのはこの学校のおかげだから、まぁ、悪いことばかりじゃなかったんだろう、そう思う。

 

 

f:id:kurage__fly:20210119230635j:plain

 

往事

 マクドナルドのハッピーセット、それは私にとっては全くもって「ハッピー」なものではなかった。

 

ある時、マクドナルドに連れて行ってもらった。母親に「どれがいい?」って聞かれて、その時ちょうど、キラキラと可愛い細工の施された手鏡のようなものが目に入って、「あれがいい!」って言った。そうしたら「何言ってんの、どうせゴミになるでしょ、あんなものを欲しがるのはもっとちっちゃい子だけです!」って怒られて、その顔が怖くて、それから私はマックに行って母親に「何がいい?」って聞かれる度、可愛いものの入った展示ケースを目の隅で捉えながら別のバーガーを選んでいた。

 

そんなことをふと思い出した。

小さなこと。当時は特に気にも留めていなかった些細なこと。

だけどそういうものをふと思い出して「今思えば歪んでいたなぁ」と思うことがここ数日よくある。

 

 

 母親は昔から子供っぽいものを嫌った。ガチャガチャやゲーム機とかがその代表例。何回か言ったことがある、「あれ欲しい〜」「これやりたい〜」だけどその度に「あんなものはゴミになるだけでしょ」「これをやってもなんの得にもならないのよ」って言われて、当時の私は母親のその言葉に特に疑問を抱くこともなく、以来そういう物をやっている人を見る度どこか卑下するような目で見ていた。それに対して、学習に対するものに母親はとても寛大だった。6、7歳の時の誕生日プレゼントは人体図鑑と『人体絵本』(めくる仕掛けのついた大型本)だった。オプションの総合誌やドリルも望めば嫌な顔ひとつせずに与えてくれた。田舎の大して大きくもない小学校、同級生に勉強で負けることはまずなかった。だからこそ、「みんなはああいうことをしているから頭が悪いんだ」「私はあの人たちとは違うんだ」って内心思っていた。

 だけど受験して周りは私よりもずっとずっと頭のいい子たちに。そうしたらその子たちは、ゲームの話とか漫画の話、それに推しがどうだアニメがこうだ、楽しそうに語りあっていた。その時これまでにないほどの違和感を感じた。

「あれ?この子達めちゃくちゃ頭いいのになんでこんな話してるの?」って。

 

今思えば、その違和感が今の状況の着火点だった気がする。 

中高の友達の存在が、私の歪んだ価値観を少しずつ直していってくれた。それと同時に、私に歪んだ価値観を植え付けた母親との関係にはヒビが入り、今となっては完全に分裂してしまった。

ゆめ

私には子供を産む資格なんてない。育てる資格がないから。

 

母親のようになってはいけないのはわかる。だけど、子育ての理想像とか成功像、つまり失敗像以外のものを知らない。躾と愛情のバランスが難しいからこそ、溶けないほどの嫌悪感を母親に対して抱いてしまった私には資格がないんだと思う。どのタイミングでは叱って良いのか、どのラインからは「虐待」なのか。普通の人なら感覚的に分かるであろうことも私にはわからない。

 

今でも、飼っている猫に嫌悪感を抱いてしまう瞬間がある。それだけじゃない、手をあげてしまったこともある。あの純粋無垢な眼差しを向けられた時、嫉妬の感情が湧き上がってくる。何もしなくても、存在するだけでみんなから愛されている彼女。その眼差しに時間的余裕から来る精神的余裕のようなものを勝手に見出して、どうしようもなく羨ましくなる。毎日言葉の通り廃人になりながら学校と家を往復して家族ともうまくいかず成績も体調もどんどん低下している自分と比べてしまう。

 

だから、時々する「結婚して子供と幸せに暮らす自分」の妄想の後、とてつもなく苦しくなる。夢みてはいけない未来、それは確かに存在するんだと思う。

今日、初めて“ズル休み”をした。

 

確かに朝熱っぽかったしお腹も痛かったけど、普段なら耐えて学校行ってるレベルの話。だけど今朝はどうしても行きたくなかった。朝は6時前に起きて身支度も済ませた、もし休ませてもらえなかった時用に。試行錯誤の末(笑)、体温計で37.5℃を出せて、それ持って母親の寝室に行った。最初は心配されたけど、「もう一回測ってみて」って言われて、36.5℃で、「気のせいでしょ、行きなさい。」って言われたけど「頭痛い」って言って布団に潜り込んだら、数分間の口論の末、「昼間は起きて勉強する」って条件付きで休ませて貰えた。

 

母親の感じを見てると、多分次はない。

 

もう限界だった。現実から逃げる日が欲しかった。いけないことをした罪悪感もあるけど、「学校に行かなくていい」「三食食べられる」っていう安心感の方が強かった。

 

午前中いっぱい休んだから、今からは家事と勉強する。

テスト数日前にこんなことしてる自分が馬鹿らしいけど、やったからには責任持って有意義に時間過ごそうって思えた。

 

今日再確認したこと。

やっぱり私は不登校にはなれない、親が許してくれない。

 

明け方の夢

ツイートでは「フラバ」って書したけど、「悪夢で飛び起きた」の方が近いかもしれない。

 

弟が反抗したら親が激昂して、弟を布団に包めて蹴りつけ始めて。目の前で見てた私が止めようとして「やめなよ」っていうんだけど、「煩い!」って払い除けられてそこで目が覚めた。文字だけ見たらそんなかもしれないけど、弟の悲鳴とか母親のヒス起こした喚き声とか蹴られた時の「グハッ」って音とかリアリティがすごかった。起きた瞬間心臓バクバクで、眠気も強くて現実かなんなのかよく分からなくてこのまま死ぬんじゃないかって本気で思った。

 

今まで、親が自分の目の前で飛び降りる夢とか、隣にいた人が銃で撃たれて死ぬ夢とか、親に殺される夢とか、それなりに怖い夢は見たことあるけど、今回みたいに飛び起きるほどの夢は初めて見た。すごく怖かった、これが“悪夢”なんだなって。今まで思ってた悪夢の比じゃなかった。

初めてのブログ

ここにはツイートでは書ききれないことを書いたり自分の思考の整理をしたりしていきたいなと思ってます。

空いている時間にでも読んでくれる方がいたら嬉しいです…

大抵はあんまりプラスなことは書けないと思うのでそこはご承知ください( . .)"