往事
マクドナルドのハッピーセット、それは私にとっては全くもって「ハッピー」なものではなかった。
ある時、マクドナルドに連れて行ってもらった。母親に「どれがいい?」って聞かれて、その時ちょうど、キラキラと可愛い細工の施された手鏡のようなものが目に入って、「あれがいい!」って言った。そうしたら「何言ってんの、どうせゴミになるでしょ、あんなものを欲しがるのはもっとちっちゃい子だけです!」って怒られて、その顔が怖くて、それから私はマックに行って母親に「何がいい?」って聞かれる度、可愛いものの入った展示ケースを目の隅で捉えながら別のバーガーを選んでいた。
そんなことをふと思い出した。
小さなこと。当時は特に気にも留めていなかった些細なこと。
だけどそういうものをふと思い出して「今思えば歪んでいたなぁ」と思うことがここ数日よくある。
母親は昔から子供っぽいものを嫌った。ガチャガチャやゲーム機とかがその代表例。何回か言ったことがある、「あれ欲しい〜」「これやりたい〜」だけどその度に「あんなものはゴミになるだけでしょ」「これをやってもなんの得にもならないのよ」って言われて、当時の私は母親のその言葉に特に疑問を抱くこともなく、以来そういう物をやっている人を見る度どこか卑下するような目で見ていた。それに対して、学習に対するものに母親はとても寛大だった。6、7歳の時の誕生日プレゼントは人体図鑑と『人体絵本』(めくる仕掛けのついた大型本)だった。オプションの総合誌やドリルも望めば嫌な顔ひとつせずに与えてくれた。田舎の大して大きくもない小学校、同級生に勉強で負けることはまずなかった。だからこそ、「みんなはああいうことをしているから頭が悪いんだ」「私はあの人たちとは違うんだ」って内心思っていた。
だけど受験して周りは私よりもずっとずっと頭のいい子たちに。そうしたらその子たちは、ゲームの話とか漫画の話、それに推しがどうだアニメがこうだ、楽しそうに語りあっていた。その時これまでにないほどの違和感を感じた。
「あれ?この子達めちゃくちゃ頭いいのになんでこんな話してるの?」って。
今思えば、その違和感が今の状況の着火点だった気がする。
中高の友達の存在が、私の歪んだ価値観を少しずつ直していってくれた。それと同時に、私に歪んだ価値観を植え付けた母親との関係にはヒビが入り、今となっては完全に分裂してしまった。